こんにちは、実働部隊のだんごむし(夫)です。
インターネットではDINKsは「ずるい」「勝ち組」「むかつく」「自分勝手」とネガティブなワードがたくさん出てきますよね。
今回はなぜ自分がそんな「DINKsというスタイルを選んだのか」について取り上げたいと思います。
DINKsは本当にずるいのか?
DINKsは「共働き」「子どもがいない」「夫婦」のことを言います。
家庭が上手く行ってなかったり、子どもがいて大変だったりする世帯にとっては「ラクをしている」ようで愉快な存在ではないでしょう。すでに子育てが終わった層は「やるべきことをしない不完全な人たち」という意見を持つ人もいるはずです。
同意できるものもあれば、的外れと思えるものも少なくありません。
世の中には積極的にDINKsを選んだ人もいれば、消極的に受入れた人もいます。
DINKsと一括りにするのは正しい批判ではないと思います。
では、わたしはどうなのでしょうか?
積極的にDINKsを選んだとも言えますし、見方によっては消極的とも言えます。
DINKsを選んだ理由とは?
突然ですが、DINKs・おひとり様向けのライフプラン情報サイトである「ピッコラム」はPICRIDEによって運用されています。その代表的な事業の1つは「ファイナンシャル・プランニング」です。
私たちは日本FP協会には所属はしてはいませんが、そのセミナーや勉強会にも参加し発表することもあります。ファイナンシャル・プランナーとしての立場も含めて、あえて素直に理由をお伝えできればと思います。
育った家庭環境が大きな影響を与える
わたしの父は1年で仕事を休んだことは数えるほどしかありません。日曜日にどこか行くぞと言って連れて行かれるのは現場や会社でした。共働きであった母も多忙で睡眠時間は平均3~4時間だったそうです。
家庭環境的にはひどく荒れた環境でした。
親の状況をみると「自分は邪魔な存在なのでは?」と感じて育ったのです。
つい最近までドラマやマンガで描かれる家庭や親子の姿は「フィクション」だと信じていました。自分が成長するに従って「家族は持ちたくない」と感じましたし、もし結婚したとしても「子どもに不幸を味あわせたくない」という気持ちは消せませんでした。
「ならば自分の子供は幸せにすればいいじゃないか」
そう思われるのもごもっともですが、それ以上に「怖い」のです。自分の子どもの姿は私にとっては幸せの象徴ではありません。親からの愛情表現をされた記憶は殆どありません。歪んだ方法、暴力、無関心。ただ昔を思い出すトリガーとしか思えないのです。
大きな負担を負うのは無理だと思った
20歳ごろに建設現場でアルバイトをしていたときの親方の言葉です。
「20代は好きなことをしろ、いずれイヤでも働かないと行けなくなるからさ」
この言葉はずっと頭に残っていますし、感情もよく覚えています。
ある映画を見ているときの主人公のセリフです。
「おれはローンの返済のために生きているんだ」
この言葉はずっと頭に残っていますし、感情もよく覚えています。
どちらも「それはイヤだな」と思いました。
わたしの家はよく「すっきりしている」と言われます。ミニマリストにはほど遠いですが、モノも集めませんし、余計なものは少ないほうだと思います。借金もなければローンもありません。
もちろん、事業運営上で必要な投資や借入はしますし、無借金経営が素晴らしいとは1度も思ったことはありません。むしろ借金や雇用は効果的だと思っています。
それでも自分個人と思ったときには身軽のほうがいいと感じます。
子どもという存在も1つの負荷と感じるのです。
日本の社会環境
あなたはファイナンシャル・プランナーが書いた本をいくつか読んだことがありますか?
切り出し方は決まっています。
「老後の年金不安や伸びない賃金、終身雇用制の崩壊。私たちは将来を自分で考えていかなければなりません。そこで大切なのはお金の知識です。」
賭けてもいいですよ。なぜなら私自身がみなさん耳にしたことがあるようなメディアで何度も書いたことがあるからです。
わたし個人の価値観としては
「子どもを持っても、その子は日本の次の経済成長期に生きることはないだろう。」
「わざわざ苦労をさせる必要もないのでは?」
どうしても感じてしまう方です。
もちろん「それは子どもが決めることだ」「子どもには可能性がある」などご意見があるのは認識しています。ファイナンシャル・プランナーとしては日本の前提条件を踏まえつつ、少しでも幸せになれる姿を提案もしています。逆に今いる子どもたちには幸せになって欲しいと強く思っています。
さて、話は変わりますが家計改善のご提案をするときには「目的別に貯金をしましょう」というアドバイスをします。実はわたしは「子ども用貯金」を約5年間しています。管理帳をみると残高は「270万円」 となっています。
DINKsには必要ないのでは?と思われるかもしれませんが
「可能性や備え」とは分けて考える必要もあります。
根がオタクだから
今の時代は「オタク」といっても受入れられますし、カジュアルな文化になってきましたよね。しかし30代以上のオタクはバカにされてきました。わたしも積極的にオタクであると言う方ではありません。
昔のオタクというのは「世間が喜んでやってること」が感覚的に気に食わないところがあります。学校の人気者たちが楽しんでいるアイドルグループ、マンガ、趣味。または世間の「こうあるべきだ!」という価値観。
オタクは流されている連中を鼻で笑っているような、ちょっと捻くれたところがあります。私は「本当に正しいことなの?」「自分は本当にそう思っているの?」と問いかけるクセがあります。
そうしなければダメだとみんながいうなら「自分はしない」
それが自分の自然な生き方でもあります。
自分で「選ぶ」ことが大切
25歳ごろ、大学の先輩とお酒を飲んでいるときの会話です。
先輩
「いつまで俺たちバカなことできるのかって思うんだよな」
わたし
「いつまでだってやれますよ」
先輩の反応は「そうかなぁ?」でした。先輩はその後に子どもがいますが、昔と変わっているようで変わってはいません。もちろん仲間内でのイベントに顔を出しにくくなったり、制約が増えていることは確かです。
結局、子どもの有無は1つの要素にすぎないのかもしれません。
みんなが思っているよりも、大きな影響は与えないのかもしれません。
わたしは今のところDINKsというスタイルを取っていますが、それが良いとも悪いとも思いません。誰かに押し付けられるのではなく、自由に自然に生きるための1つの形として存在していればいいなと思います。
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